イライラが解消される魔法のことばー共働きパパママへー

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子育て
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2人目(次女)が産まれて早1年半。

長女が小さかった頃を写真や記憶から呼び出しては「こんな感じだったかなぁ?」という感覚と共に日々目まぐるしく過ごしています。

そして長女とは違い次女は抱っこマン。

現在は在宅が多い環境もあり、一人になる時間は次女が保育園か寝た後しかありません。

 

育児に関わるほどに常々思います。

時間が足りない…。

 

1人目は既に小学校1年生となり、また違った色々な色を見せてくれます。

しかしそれもこれも落ち着いた時間があってこそ、振り返り美化された感情。

 

その時その瞬間は本当にどうしようもないくらいにイライラしたり、つい口調が強くなって後で後悔したり。

 

子どもだって一人の人間であることはわかっているのですが爆発することもしばしばです。

ゆっぱぱ
ゆっぱぱ

本当は怒りたくないし、落ち着いて大人な対応をしたい…。

イライラの背景には色々な要因があるでしょう。

だからといって子どもへのあたりが強くなる理由にはならない。

 

そこで少しでも冷静になれるように、自身がイライラした際に思い返す言葉をご紹介します。

手のかかる瞬間は今しかない

この言葉はどんな年齢の子でも当てはまります。

そんなの当り前でしょう?

なんて返ってきそうですが落ち着いてもう少し掘り下げてください。

 

遠い昔から振り返りましょう。

 

産まれたての赤ちゃんの頃は毎日3時間ごとに母乳を与えていました。

3時間ごとに泣き、そのたびに起こされます。

しかし半年もすれば睡眠時間は伸び、解放される時間が少しずつ増えていきます。

 

危なっかしいハイハイや掴まり立ち、歩くことさえ数ヶ月でしっかりした足取りになります。

歩くと別の不安や心配ごとがありますが、ただ泣いてわからない赤ちゃんに比べれば楽ちん。

 

できることが増えていくほど、親の手はかからなくなります。

子どもは放っておいていても勝手に成長するし。

 

手がかからなくなると、今度は少し寂しい気持ちになります。

長女のときがそうでした。

親って全く勝手な生き物ですね。

 

だからそこ「今しかない」という言葉で片付けましょう。

永遠に手がかかるわけじゃないし、今くらい良いかなぁという気持ちになります。

 

憎たらしい小学生の長女は未だに歯磨きの仕上げをします。

頭を洗うとき水が顔にかからないように流します。

学童へ行く長女へ、朝はほぼ毎日お弁当を作ります。

 

あと数年もすれば「コンビニで買うからお弁当いらない」と言われるでしょう。

 

時間がないときに限って全然言うことを聞いかない子どもだって中学生になれば勝手に外出します。

 

いつかは必ず親から離れる子ども。

 

過去になれば

「あのときのイヤイヤはひどかったよねぇ」

なんて夫婦の笑い話で済むような、実際はその程度のことです。

 

今くらい、ワガママや手がかかってもいいのでしょう。

自分もそうだった

自身の半分を引き継ぐ分身のような存在が子どもです。

自分が小さい頃を振り返ってみてください。

 

怒られれば拗ねて寝てしまったり。

泣き暴れて困らせたり。

夏休みの宿題はギリギリに片づけたり。

 

恥ずかしいほど似ています。

過去に自分ができなかったことが、自分の血を継ぐ子どもがすんなりできるとは思わないことです。

しかしやり方を変えることはできます。

それでもどうにもならないこともあるでしょう。

親の力はたかが知れています。

見放すのではなく、共に諦めてあげることも時には必要なのだと思います。

失敗から学ぶことは大きいのでその過程で成長するように見守ってあげましょう。

彼ら彼女らの時間も今しかない

次女ができてから長女との時間が減りました。

親としてはどうしても当たり前のことですが、長女にとってみれば当たり前ではありません。

長女の当り前は、いつでもどんなときでも構ってくれた親がデフォルトだからです。

 

ケーキを食べた後にリンゴを食べて甘さが物足りないと感じるように。

愛情を注いでいた子どもほど時間が減ると反動が激しいです。

 

一時期暴れまくって保育園に行かない時期もありました。

小学生になった今も、ときどき寂しそうな顔を覗かせます。

 

彼女たちの今も、今しかありません。

当然親だってそうなんですが、30歳からの10年と0歳からの10年では雲泥の差があります。

次女とは手のかかる頻度が違うため平等にはできませんが、長女のために時間を作るということも必要だと感じ、今ではときどき実行しています。

誰かの話は反面教師にする

とある上司のお話です。

上司は息子との関係についてこう話していました。

「たまの休みに家で過ごしていると、なんだこの知らないおっさんって感じの目で見られる(笑」

 

それを小耳にはさんだ僕はいやいや、笑ってる場合じゃないって…。

本気でそう思いました。

そんな目で見られてるってことに上司は気づいたはずなのに、笑い話なのです。

僕だったら笑えません、冷や汗モノです。

 

だって

 

その子の日常に父親が存在していない。

 

ということになりませんか?

 

なんでしょうね…書いているだけで、やるせない気持ちが湧いてきて悲しいです。

自分だったら何やってたんだろう…ってなります。

 

勿論、家族のために必死に働いてんだよ!!

と上司は言うかもしれません。

 

上司ですから、仕事上の負担も大きいでしょう。

それもわかります。

 

だけど僕には理解できません。

 

いつからその子の中で父親がいなくなったのでしょう。

いなくなったとき、どんな気持ちだったでしょう。

今はどんな気持ちで「知らないおっさん」を見ているんでしょう…。

 

厳しい口調で言えば関わらなければ血の繋がった他人だと思います。

育児は大変で辛いけど同じくらい楽しい

同じ人を一から育てるのです。

当然大変じゃないわけないし辛いことも多いでしょう。

これからだって色々悩んで困ってそのたびに色々な気持ちを連れて、それでも毎日を忙しく過ごすのでしょう。

関わるほどに人として成長できるのだと思います。

 

同じ親としてこの記事を読んでいただいた方へ、お疲れさまを。

そして”まだまだ頑張っていきましょう”という言葉をお贈りします。

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それではではまた~。

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